落とし込みブログ
~釣りに行けないときも釣れズレに~
無題
konjyounoki
 以前、掲載した根性の木

しばらくして、そこにいくと

根性の木その後
切られていた。


いつかは切られるか自重によって折れるかだったろう。


彼(この木)の運命はそこに種がとんで芽吹いたときから寿命が決まっていた。


彼にはどうすることもできないことだった。


しかし、彼は根付き、伸び、葉を茂らせた。

ときにはちょうが舞い、虫がとまり、鳥が休んでさえずっただろう。

できるだけの生命力を発散させて彼は散ったのだった。

彼が存在した跡は何もない。


僕の記憶があるだけ。





こんなのをみて最近、ときどき思うんだな。



人の運命はそれぞれである程度決まっている。

どこで生まれたか、どのような環境で育ったかで、すでに生き方が変わってくる。




だから、自分ができたから他人もできるはずなど人の生き方と自分を比べて評価することはできないだろう。


生まれから現在までのすべてが違うし、その中で培った価値観も違う。


すべてが自分自身との問答にしか答えはないだろうと思う、と。





ただ、生きていく中でふれあう人々との交流は人間にとって重要な価値を占めるね。


矛盾しているようだが、社会的存在としての人は他の人との心のふれあいや共感は心のよりどころとなってくる。

だからこそ、個別的存在と社会的存在の関係の中で人は悩む。


悩んでよりよい道筋を見つけたいと思う。


自分もそうやって生きてきたから。




でも、最後は一人の自分となる。


何人、何百人、何千人…、たとえ何億人の知人がいても、
時が流れればいつかは無となる存在


選ぶことができない運命の中で、今そこにいるという現実の中で、どう生きるかが自分だけにできる選択肢であり、この世に生まれてきた自分だけのチャレンジなのだろうな。

生きる



ま、こうは言っても、大体が、いきあたりばったりだけどね。


散歩中の楽しみ
余裕ができて体調もいいときは、できるだけ歩くようにしている。


何のためか。

多分に漏れず健康のため。
落とし込み釣りで疲れないため。
それと太ってしまったのでズボン、特にレインスーツのズボンのボタンを留めたい。




これがなかなか続かない。


腰が痛い。ふくらはぎが痛い。血圧が高い。雨が降っている。寒い。暑い。PM2.5がひどい。などなど言い訳はたくさんある。


2週間ほど前は、腰が痛くてダメだったからそれ以来だな。





ただ、歩いていると、いろんなことを発見できる。

季節の変わり
  日差し、気温、草木…

風景の変化
  田畑が埋められる。建物が建つ。さら地になる。

知らなかった・気づかなかった場所がある。
などなど

早足で歩きながらそんなこんなの発見や感慨が楽しいのだ。




今日はと。

いつも歩く途中に寄って拝む近くの神社

kihunejinndya


昔は奥まで森が広がっていたのに、神社の後ろに行ってみると木々のすぐ向こうに家がたくさん建っている。
だんだん鎮守の森も浸蝕されちまって神様も窮屈やろな





kappaike

水際はうっそうとした草や木が生えた自然の護岸だったのに
最近の工事ですっかり人工物となった
昔は小さかった息子がカッパがいるといって「カッパ池」と名付けていたんだが
そんな雰囲気なくなったな。
夢や幻想はコンクリに埋まっちまった。



今は季節がいいのでたくさんの花や実や若芽が楽しませてくれる。


そんなのを眺めながら、大きめの池の周りを歩いていると

発見

穴から…おもしろが2つ

まず これ
なんだろう穴から

がけのコンクリ水穴から蜘蛛の巣のように伸びた光る跡。
他の穴からも同じように広がっている。


何かが何度も何度も頻繁に穴からはい出て、その粘着物の跡が光っているのだろう。

たぶん、ナメクジかな~?

しかし、あらためてみると 面白い。




次、
穴から木


説明いらないな。ど根性!




こんなたわいもないことにも気を引かれ、あるいはまじまじと観察しながらの散歩。続くといいが。



めおと道中
カアちゃんの誕生日に南阿蘇へ1泊小旅行

インターを降り、途中、熊本空港を過ぎた辺りで寄り道

でかい倉庫のような市場
でかい倉庫のような市場


魚が安い
魚やすい

果物から野菜からいろんな種類おびただしい数の食品の卸売市場のような所

市場の中のもの


それを見たカアちゃんスイッチはいる(笑)

次はホギホギ神社へお礼参り

以前より建物が増えている
森の中に突然現れる不思議な光景
ホギホギ神社全景



ホギホギ~と唱えながらご神体の石の周りを回る(笑)


ホギホギ~




宿へ


阿蘇5岳がくっきり。

阿蘇 根子岳


温泉入って美味しい食事

ささやかな2人の小旅行だった。

年の瀬に思う
今年もあと数時間となった。

大晦日に臨んで今回はこれまでで一番感慨が深い。


希望をもって臨むのか、終末に向かって臨むのか大きな違いがあるだろう。

自分はこれまで3度、残された者のことを思い、命のことを考えたことがある。

その一つが今年。
隠し立てをすることもせず開けっぴろげの心境をもてているからこうして書くこともできるのだが、6月に肝臓ガンと分かって7月の誕生日に手術をして以来5ヶ月が経つ。ま、再発の可能性も高いのは事実だが。

しかし、自分のこれまで数十年間の治療経過から考えると、気づきが遅れる可能性がものすごく高かったのだが、偶然に虫の知らせで見つかったことは、本当に偶然だったのかと今更ながら考える。


多分、今頃に見つかっていたのなら、この年の瀬の臨み方は前述の後者だっただろう。



虫の知らせ。危機一髪。幸運にも。

実は大なり小なり自分にはかなりこういうことがある。



スピリチュアルな話となるのだが事実。



たとえば、
若い頃はオートバイを乗っていたが、道幅の狭い坂道を下っているとき、カーブの手前に駐車していた車を避けた車が僕の進路に。
道路の端は大きな深い溝。スペースはない。
とっさにオートバイを手放して車の上をダイブして頭から舗装の上に落ちていった。
が、柔道(小学生のときしていた)の前方回転受け身のようにくるくると回って無傷。
普通は大けがか死ぬところでだったが、バイクを押して帰った。


車を運転していて何度もバイクや自動車や人、最近はイノシシ、タヌキ。接触したりギリギリセーフがあったが大事には至らず。


以前の仕事をしているとき、極限まで追い込まれてうつらうつらしているときに、仕事の内容や思っても見なかったこと、忘れていた仕事を夢が教えてくれたことが何回も。

その他もちょっと書けないが心当たりのあること



何かの力か意思がそうしてくれているのではないかと思う。



但し、それは自分に正直で真剣に打ち込んでいるときでないと起こらないことであることも自分でよく分かる。

都合のいい安易な心もちではイケナイのだと思わせてくれるものでもある。


よくある言葉に

「一生懸命に生きていれば必ずいいことがあるもんだよ。」



いいことを期待はしていないが、無心に真剣にしているそのオーラが、自分をいい方向に導いてくれる。


そう思って、新しい年を迎えようと思う。

擬態
釣りとはかけ離れた陸上でのこと


家の外に置いていた発泡の箱に木の葉が。

振り落とそうとして ハッ

木の葉が立っている。


もう一度よく見ると、


アレでした。

アケビコノハ


擬態のカレハチョウみたいなヤツ


小学生の頃は、殆ど山や林に入って遊んでいた私

どちらかというと アウトドア系で62年過ごしてきて こうしてはっきりと確認したのははじめて。


多分、何回かは出会っているのではないかと思うが 見ているのに見えていなかったのだろう。


調べてみたら、「アケビコノハ」という大型蛾の一種らしい。


アケビは昔、よく山で採っていたから、その時いたかもしれないけどなぁ。

アケビコノハ2



以前、「見るということ」という題名で書いたことがあるけれど

人は、たくさんのものから、自分が見たいものだけを見ている。

どれだけ、ものが見えるかということが 自分にとっては これから大事にしたいことだと 
アケビコノハとの出会いから改めて思わせてもらった。


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