落とし込みブログ
~落とし込みやらないときはこんな日々~
大事にしたい
クツワムシ


クツワムシでしょうか

釣りの行きがけに寄った道の駅で見つけたのでパシャッ。

福岡では殆ど見かけたことはないですが、

さすが辺境の地に来ると 珍しい出会いがあります。

釣りは殆ど辺境に行くことが多いので 

イノシシにぶつかられそうになることはしばしば

シカも見るし

タヌキは出会わない方が珍しい(といっても殆どは車にひかれてナンマンダブだけど)

去年なんかは タヌキがいると思った瞬間に飛び込んできて

いやな思い出。


カメやヒキガエルなんかも道を歩いているし

ま、自然の中に入り込むと釣りをしない人には一生ないことに たくさん出会います。

これも釣りの中の一つ

だから釣りがすき
温暖化って本当か
博多沖防では、12月になっても、落とし込み釣りでチヌが釣れ続いている。

船長曰く、「する人がいなかったから。」

確かに。

まず、船を出していなかったし、落とし込みを頑張ってする人も殆どいなかった。

ただ、水温は高い。


10年ほど前、そばの貯木場で測った水温は5℃だったけれど、今度の1月、2月はどうなんやろか。


大分の水温も去年の同じ日に比べて4.5℃も高い
17.5℃。
これ、黒潮の蛇行の影響だけなんやろか。




世界あちらこちらで起きている、巨大ハリケーン、サイクロン、台風。少雨 …。

これも、2万~10万年スケールで起こる氷期と間氷期の自然サイクル、北半球夏季の日射量変動の影響だけなんやろか。


でも、今から約 2万1000年前の最終氷期から次の間氷期に遷移する約1万年間では、4~7℃の上昇が見られたらしいけど、最近の気温上昇の速度は約10 倍も速いらしい。


これじゃ日射量変動との関係では、現代の温暖化を説明することはできない。


科学者の間でも様々な報告がなされているが、

人間の影響での温暖化だと深刻に判明した時点で元に戻すことは地球にはもうできない。


人間が生きていくにはCo2の排出は避けられない。


自分だってやっているからと言って大きな声はだせないのか。

少しだけ、できることからやって見ませんか。

子どもの将来のため、子々孫々のため、地球のため。
          ↓

地球温暖化のシミュレーション

地球温暖化に関する知識


懐かしい風景
田のみぞ


一昨日、八女まで病院に行った帰りの道で
ふと車の窓から見えた水路

自分の故郷の田んぼと田んぼの間にはもう少し狭かったが
こんなみぞがたくさんあった。

そこで、小魚やザリガニなどをよくとっていたものだ。

古いみぞの横には草が覆い被さり膝上まで裸足で入って
ざるをその草の影の水の中に差し込んですくうと
フナやナマズが入ってきた。

うっかりしているといつの間にか、足に何匹かのヒルがくっついていたものだった。


一日中、夢中でそうやって遊んでいたころを思い出した。


まだまだ、こんなところが残っているんだなぁ。


車を降りて、覗いてみると

水の中に茂った金魚藻の周りを素早く動くたくさんの小さな魚の影

思わず裸足で入ってみたくなったが、結構深そうだった。

田んぼ
緑は10秒程度見るだけでも、目の疲労回復にかなり効果があるということを以前テレビで言っていた。

だから昼間は、時間さえゆるせば近くの垣根や山の緑を眺めることにしている。

釣りのときも僕がボーッと遠くを見てるときは、あまりの釣れなさに放心しているときも多いが
緑を眺めているときもあるので ほうけたと思わないでよかです。



緑は、気持ちもホッとさせてくれる。

写真は 散歩途中の田んぼ。
農家の方は管理に大変かもしれないが、日本の田んぼはほんとに気持ちが爽やかになる。
特に水を張った田んぼが一面に広がっている様子は。


ウチの周りも20年ほど前までは田んぼだらけだった。
お店屋さんなんか殆どなかった。


ところが今は田んぼはここぐらいでしょうか。あとポツポツ残るだけ。
全部埋め立てられて、店舗や施設ができてしまった。
農家は豪邸に変わり、外車が2~3台ならんでいる。
う~ん。しょうがないのかもしれないが。



今年の豪雨、猛暑。
原因はこんなことの積み重ねかも。

今年の海はおかしい。
今年の釣り人の会話
今年だけだといいと思う。
海の嘆き
批判とか反対とかそういうことを書くわけではないが、ただ憂いていること。


人間は、現段階では、化石燃料を使い、山を削り、海を埋め立てて家を建て、道路を通し、産業などに必要な建造物を建てて生きているわけだ。

その中に 自分もいる。自分も「している。」

それは間違いのない事実である。

しかし、できるだけ、最小限に地球を変えることを押しとどめないといけないということは、これも認めるべく事実。






はやと丸の船長と話をしていて、

「20年ぐらい前は、アイナメやカレイがすごく釣れていたけどねぇ。全くおらんごとなったね。イワシが回ってきて、護岸はイワシ釣りで竿が一杯やったよね。」
と言うと、

「渡し船を始めたときは、時季になったら多々良川にカレイの稚魚が川の色が変わるほど湧いて、網でいっぱい簡単に掬えよった。」

「あの、埋め立て(パークポート)の所は、昔から、魚の産卵場だったんよ。アレができてからなーんもおらんごとなった。」

「そうやねー、たしか。」

sakananoyurikago


多々良川の河口横には、名島城の山のふもとに浅広い磯場と名島干潟があり、その横の岬から香椎干潟へと続き、さらに北の和白干潟へと続く昔からの大きな干潟が20年程前までには存在していた。

自分がまだ子どもの頃には、福岡県のど真ん中の田舎から、わざわざ汽車やバスに乗って子ども会や家族と貝掘り・海水浴に来ていたことを思い出す。


現在はそこはもう殆ど埋め立てられて、気持ちだけの干潟が残されてはいるが、今は、過去のような潮の流れはなく、泥が深くなるばかりである。


自然とはそういうもので、代わりにここに水道を作ったとか、人口の砂浜を造ったからということで代替えがきくわけではない。



大きなおおきな自然のバランスの一部を変えたら、人の目には見えないところで全ての歯車が狂ってしまうものなのだ。


和白干潟の沖の人工島開発計画は予定が狂って荒れ地になったままの埋め立て地に雨水がたまり、そこに珍しい(そうだ)渡り鳥などが来て鳥の天国になっていると報道があっていたが、片腹痛い。たまたまそうなっただけだろう。
いやいや批判はするまい。同じ穴のムジナ。

しかしながらも取り返しはつかないのだ。悲しいことに。


人は、大義と言って 地球の子どもが育つ ゆりかごを埋めてしまったのかもしれない。
copyright © 2005 落とし込みブログ all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.