
一昨日夕方から降った雨。
夜は雨の音で目が覚めるほどだった。
何でも西日本各地で、5月の観測史上最多の降雨量だったらしい。
ずっと降らないかと思えば、降ればこの始末。
冬は雨ばっかりだったし、春先は世界各地で地震が発生したり、
おかしな気候になっている。
でも、今日はちょっとほっとしたことがある。
田んぼのあぜ道を散歩をしていたら、雀の群れがたくさん。
チュンチュンと飛び回っていた。
最近、雀も見ないなと思っていただけに、おお、いたか。
農家の方にはじゃまな存在なんだろうけど、やっぱり雀はいないとねぇ。
子どもの頃、夢中になって雀を捕らえようとしたことを思いだした。
別に、獲ってどうするってわけじゃなく、とにかく捕らえたかったのだ。
それが子どもの遊びの一つで。
カゴやレンガに米粒を置いて仕掛けを作ったが、そんなちゃちな仕掛けじゃ獲れなかった。
一番は、「はじきワナ」という仕掛け。
これは木の弾力を使った本格的なワナ。
これには雀やコジュケイがよく捕まった。
首が木のバネで一瞬で締まって死ぬので、死なないように首の間隔だけ空けても打ち所が悪いのか生きたままとらえることは難しかった。
残酷なことをしたのが昔の子どもの遊びだった。
息子に伝授しようと、一度山に連れて行って仕掛けを作って見せたが、あまり興味を持たなかった。
次に原始的なのは、やっぱりゴム銃。いわゆるパチンコだ。
僕はその名手で狙った的は50%の確率で当てた。
モズ・雀もよく撃った。
でも、石のつぶてとゴムの力じゃ当ててもボスッと羽が飛ぶだけで殆ど逃げていった。
そのほかにも、すぐ禁止になったが「かすみ網」
メジロの群れが来るところに仕掛けておくとよく捕まった。
昔はメジロを飼うのが流行っていた。
今は昔。
夜は雨の音で目が覚めるほどだった。
何でも西日本各地で、5月の観測史上最多の降雨量だったらしい。
ずっと降らないかと思えば、降ればこの始末。
冬は雨ばっかりだったし、春先は世界各地で地震が発生したり、
おかしな気候になっている。
でも、今日はちょっとほっとしたことがある。
田んぼのあぜ道を散歩をしていたら、雀の群れがたくさん。
チュンチュンと飛び回っていた。
最近、雀も見ないなと思っていただけに、おお、いたか。
農家の方にはじゃまな存在なんだろうけど、やっぱり雀はいないとねぇ。
子どもの頃、夢中になって雀を捕らえようとしたことを思いだした。
別に、獲ってどうするってわけじゃなく、とにかく捕らえたかったのだ。
それが子どもの遊びの一つで。
カゴやレンガに米粒を置いて仕掛けを作ったが、そんなちゃちな仕掛けじゃ獲れなかった。
一番は、「はじきワナ」という仕掛け。
これは木の弾力を使った本格的なワナ。
これには雀やコジュケイがよく捕まった。
首が木のバネで一瞬で締まって死ぬので、死なないように首の間隔だけ空けても打ち所が悪いのか生きたままとらえることは難しかった。
残酷なことをしたのが昔の子どもの遊びだった。
息子に伝授しようと、一度山に連れて行って仕掛けを作って見せたが、あまり興味を持たなかった。
次に原始的なのは、やっぱりゴム銃。いわゆるパチンコだ。
僕はその名手で狙った的は50%の確率で当てた。
モズ・雀もよく撃った。
でも、石のつぶてとゴムの力じゃ当ててもボスッと羽が飛ぶだけで殆ど逃げていった。
そのほかにも、すぐ禁止になったが「かすみ網」
メジロの群れが来るところに仕掛けておくとよく捕まった。
昔はメジロを飼うのが流行っていた。
今は昔。
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昨日、沖防に行った。
12時に帰るつもりが、朝2便から日没まで13時間程釣り続け。
普通はゆっくり行っても昼寝ぐらいはするんだが、この日は天気がよくなく、昼頃から時折、雨がちらつき3時頃からは本格的な雨。
釣るか帰るしかなかったんだが、チヌがいつか来そうな予感がして釣り続けた。
さすがに体力は限界に近づき、フラフラ状態だったが、執念で日没まで。
粘った結果は朝早くの40弱2枚に薄暗くなってやっとアタった33cm。
家に帰り、遅い夕飯を食べたらぐったり。
足腰、腕の痛みはもちろん、目もやられ、頭痛はするし。
今日が、豪雨でよかった。
雨が降ってなかったら、昼からビョーキが出て、また沖防にフラフラいってたかもしれない。
11時間ねてもまだ足りず、夕方からまた2時間ねて、風呂に入ってようやくすこし疲れがとれたかなって感じ。
それほどまでにやる理由?
ランニングハイとかクライマーズハイとかいうアレに似ているのかな。
釣りをしているときの快感は格別なんだヨなー
12時に帰るつもりが、朝2便から日没まで13時間程釣り続け。
普通はゆっくり行っても昼寝ぐらいはするんだが、この日は天気がよくなく、昼頃から時折、雨がちらつき3時頃からは本格的な雨。
釣るか帰るしかなかったんだが、チヌがいつか来そうな予感がして釣り続けた。
さすがに体力は限界に近づき、フラフラ状態だったが、執念で日没まで。
粘った結果は朝早くの40弱2枚に薄暗くなってやっとアタった33cm。
家に帰り、遅い夕飯を食べたらぐったり。
足腰、腕の痛みはもちろん、目もやられ、頭痛はするし。
今日が、豪雨でよかった。
雨が降ってなかったら、昼からビョーキが出て、また沖防にフラフラいってたかもしれない。
11時間ねてもまだ足りず、夕方からまた2時間ねて、風呂に入ってようやくすこし疲れがとれたかなって感じ。
それほどまでにやる理由?
ランニングハイとかクライマーズハイとかいうアレに似ているのかな。
釣りをしているときの快感は格別なんだヨなー


最近お気に入りの散歩コース。

ここに着くまで少し早足で家から約20分、このゾーンからは速歩、急歩とペースを変える。
土を踏みながら、川沿いをずっと歩き、また戻る。
家に着くと丁度、1時間ほど。
なんと言っても景色がいい。
アザミやシロツメグサが生えている昔ながらの田んぼ道から入る。

肥やしの匂いに子どもの頃を思い出す。
川沿いに着くとウグイスが鳴いている。
川の両側を草木が覆い、大きなコイでも潜んでいそうな雰囲気が漂っている。
大きなサギがある日は木に止まっていたり、またある日は茂みから突然羽ばたき出たり。
このコースを見つけてからここに来るのが楽しみになった。
歩くのがさらに楽しくなった。
こういうところが都心天神から車で30分程のところに残っている。
福岡は本当にいいところだと思う。
自分がこの近くに住み始めてから20年ほど。
まだ、畠や田んぼだらけだった。
それからどんどんそれらは潰されて、マンションや大型店舗が次々と立ち。
山もきれいに無くなり住宅地になった。
家の周りは殆ど昔の名残をとどめてない。
ここに来るとほっとする。
できればずっとこのままであってほしいと思う。


先日テレビで登山家のドキュメンタリーがあっていたので暇つぶしに見ていたら、思わずのめり込んでしまった。
クライマー・登山家、特に断崖絶壁しかも過酷な冬の山に挑む人たちの生き方は尋常ではないと思った。
凍傷で指を無くしてもトレーニングを繰り返し、さらにより難しい山へ挑戦しようとする。
死を覚悟しなおその危険な山に挑もうとするその姿は何かに取り憑かれているとしか思えなかった。
そのテレビで谷川岳は遭難死者数が…と語りが言ったとき、山のことを何にも知らない僕は50名ぐらいだろうか。と、思ったが、その後に、昭和6年からの統計でも死者900人を大幅に越えている世界ワーストトップというのを聞いたとき、唖然とした。
テレビは廣川 健太郎という有名な登山家(と言っていいのさえ分からないが)が、谷川岳で最も難しいと言われている第三スラブというコースに挑むシーンだった。
彼はサラリーマンで土日に主に登山するようだった。
(もちろん、海外は別だろう)
綿密に統計を分析し、下見を重ね、雪崩の危険性を予測してアタックし成功した。
しかし、その後、彼はこう言った。
「状況判断も大切だが、運がよかった。」
僕は、本当に運がよかったとしか思えなかった。
100%雪崩は予測できないと思ったから。
それほどまで危険なその行為に突き進ませるものは何なのか。
僕は知りたかった。
しかし、一口では言えないだろう。
なぜ、釣りをするのですか?
と聞かれても、釣りをしたことの無い人、釣りを知らない人に説明することさえ難しくもどかしい。
しかし、釣りは命を覚悟でするものではない。
命を落としても悔いはないという人さえいるこの山の世界。
いったい何なんだろう。
廣川 健太郎氏が、もどかしそうに言った言葉に何となくヒントのようなものを感じた。
「…自分を試す…それをやらないことは逃げていることでゆるされない…」
この気持ちを知りたくて他を調べていたら、登山家 山野井泰史氏の動画があった。
見てみた。
彼、彼と同じ登山家の妻も異口同音に同じようなことを言っていた。
「能力を最大限に使って、限界までやった。」
体力・技術・知力を駆使して険しい自然(山)に挑み克服することで、生まれて来た人間として自分というものの限界に挑戦する。
そのようなことなのだろうか。
僕にはそのくらいしか分からない。
すざましい生き方があるのだとしか。
今日はこれまで。
クライマー・登山家、特に断崖絶壁しかも過酷な冬の山に挑む人たちの生き方は尋常ではないと思った。
凍傷で指を無くしてもトレーニングを繰り返し、さらにより難しい山へ挑戦しようとする。
死を覚悟しなおその危険な山に挑もうとするその姿は何かに取り憑かれているとしか思えなかった。
そのテレビで谷川岳は遭難死者数が…と語りが言ったとき、山のことを何にも知らない僕は50名ぐらいだろうか。と、思ったが、その後に、昭和6年からの統計でも死者900人を大幅に越えている世界ワーストトップというのを聞いたとき、唖然とした。
テレビは廣川 健太郎という有名な登山家(と言っていいのさえ分からないが)が、谷川岳で最も難しいと言われている第三スラブというコースに挑むシーンだった。
彼はサラリーマンで土日に主に登山するようだった。
(もちろん、海外は別だろう)
綿密に統計を分析し、下見を重ね、雪崩の危険性を予測してアタックし成功した。
しかし、その後、彼はこう言った。
「状況判断も大切だが、運がよかった。」
僕は、本当に運がよかったとしか思えなかった。
100%雪崩は予測できないと思ったから。
それほどまで危険なその行為に突き進ませるものは何なのか。
僕は知りたかった。
しかし、一口では言えないだろう。
なぜ、釣りをするのですか?
と聞かれても、釣りをしたことの無い人、釣りを知らない人に説明することさえ難しくもどかしい。
しかし、釣りは命を覚悟でするものではない。
命を落としても悔いはないという人さえいるこの山の世界。
いったい何なんだろう。
廣川 健太郎氏が、もどかしそうに言った言葉に何となくヒントのようなものを感じた。
「…自分を試す…それをやらないことは逃げていることでゆるされない…」
この気持ちを知りたくて他を調べていたら、登山家 山野井泰史氏の動画があった。
見てみた。
彼、彼と同じ登山家の妻も異口同音に同じようなことを言っていた。
「能力を最大限に使って、限界までやった。」
体力・技術・知力を駆使して険しい自然(山)に挑み克服することで、生まれて来た人間として自分というものの限界に挑戦する。
そのようなことなのだろうか。
僕にはそのくらいしか分からない。
すざましい生き方があるのだとしか。
今日はこれまで。


博多沖防、今年で4回目。
まだ、チヌもメイタも釣れない。
そろそろ出そうな5月中旬になってもまだ。
出だしはいつもみんなの後ろを走るパターンは今年も同じだな。
早く最初の1枚を見たいものだ。
まだ、チヌもメイタも釣れない。
そろそろ出そうな5月中旬になってもまだ。
出だしはいつもみんなの後ろを走るパターンは今年も同じだな。
早く最初の1枚を見たいものだ。
