

気をつけ!
が、できない小指
中学生のときからバレーボールのセッターしてました。
試合とかでブロックをすると相手はブロックの端っこを狙って打ってきます。
小指に当たると痛いです。
痛いだけじゃなく、ひどいときは脱臼します。
でも、ブロックをして振り向くとボールは上がって僕が上げないとどうしようもないし、
他に換えがいないのでぬける訳にはいかず、
急いで、曲がった指を引っ張って元に戻してとりあえず続行してました。
痛いというより、無我夢中でプレーをしていた時代です。
痛いより次!
根性や上下関係優先の世界でした。もちろん仲間の絆や情はその分、固くて深いです。
余談で前も書いたようなきがするけど、
当時は真夏の暑い戸外の土の上でバレーボールやするものでしたが
水は「飲むな」
下級生が乾いたコートの土煙を抑えるためにコートに巻くバケツの水に帽子をたっぷりとぬらしてかぶり
頭から口元に流れ落ちる泥と汗の水を分からないようにすすって練習をしていた時代。
レギュラーになれない上級生のしごきはひどく、特に雨に日の筋トレ(と称したしごき)はみんな本当に泣いてやってました。
中学生ですでに関節炎を患ってジャンプも痛々しい者、腰痛でタイヤのチューブを腰に巻いてプレーをしている者ぶん殴られて体操服を血だらけにしても先輩や担当教師に向かっていく者。
口で言わずとも状況と表情で何をするべきかが分かるのが最良のチーム。
ポイントをとるのは練習の成果として当たり前、どこか自分に不十分なところ、もっといいプレーはできなかったかと思い返すこと。
技術の究極を追究しろ、バレーを通して人としての成長をしろ。と、今は亡き顧問に教え込まれていたから。
ポイントとって小躍りしてハイタッチぃなんてしたらぶん殴らててたやろうなぁ。
だから、自分のチームの試合だけ、淡々と試合が進み。
相手は負けているのが普通だったから喜ぶタイミングがあるはずもなく、
かけ声だけが聞こえるような試合がたくさんの試合コートの中で1つだけあるという奇妙な光景だったでしょう。
実は、なぜか僕のカァちゃんは一つ下の後輩なんだけど、肘や膝には当時、土でけずった傷跡が消えてません。
そんな中で、脱臼なんて小さなことでプレー中断や交代なんて「やれるか。」と思ってたから。
そのようなことごとは一部、改めないといけないけれど、今でも(今では、こそかも)必要なことかなとも思ってます。
でも、体の筋の力というものは微妙なバランスで機能しているもので、20歳ぐらいには上下の筋の引っ張りバランスが崩れてきてだんだん曲がってきだしました。
ピアノを弾くとき小指だけくにゃっと曲がってしまうので鍵盤が押さえられないようになり、
最近は、とうとう小指がズムーズに曲がらなくなり、
竿を自由に握れなくなりました。
握るときは左手で曲げてやらないといけないのでいちいち面倒。
魚が掛かっても力が入らなくて悔しい思いも多くなって来ました。
でも、持てるし、歩けるし、誰も一つや二つは不自由があるものだと思ってます。
盆休みやなぁ。
昨日・今日と釣り2連チャンやったから3連チャンもあってもいいかな。
なんて。
まだ右手で竿が持てるだけでも幸せかなと。
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