
今年もあと数時間となった。
大晦日に臨んで今回はこれまでで一番感慨が深い。
希望をもって臨むのか、終末に向かって臨むのか大きな違いがあるだろう。
自分はこれまで3度、残された者のことを思い、命のことを考えたことがある。
その一つが今年。
隠し立てをすることもせず開けっぴろげの心境をもてているからこうして書くこともできるのだが、6月に肝臓ガンと分かって7月の誕生日に手術をして以来5ヶ月が経つ。ま、再発の可能性も高いのは事実だが。
しかし、自分のこれまで数十年間の治療経過から考えると、気づきが遅れる可能性がものすごく高かったのだが、偶然に虫の知らせで見つかったことは、本当に偶然だったのかと今更ながら考える。
多分、今頃に見つかっていたのなら、この年の瀬の臨み方は前述の後者だっただろう。
虫の知らせ。危機一髪。幸運にも。
実は大なり小なり自分にはかなりこういうことがある。
スピリチュアルな話となるのだが事実。
たとえば、
若い頃はオートバイを乗っていたが、道幅の狭い坂道を下っているとき、カーブの手前に駐車していた車を避けた車が僕の進路に。
道路の端は大きな深い溝。スペースはない。
とっさにオートバイを手放して車の上をダイブして頭から舗装の上に落ちていった。
が、柔道(小学生のときしていた)の前方回転受け身のようにくるくると回って無傷。
普通は大けがか死ぬところでだったが、バイクを押して帰った。
車を運転していて何度もバイクや自動車や人、最近はイノシシ、タヌキ。接触したりギリギリセーフがあったが大事には至らず。
以前の仕事をしているとき、極限まで追い込まれてうつらうつらしているときに、仕事の内容や思っても見なかったこと、忘れていた仕事を夢が教えてくれたことが何回も。
その他もちょっと書けないが心当たりのあること
何かの力か意思がそうしてくれているのではないかと思う。
但し、それは自分に正直で真剣に打ち込んでいるときでないと起こらないことであることも自分でよく分かる。
都合のいい安易な心もちではイケナイのだと思わせてくれるものでもある。
よくある言葉に
「一生懸命に生きていれば必ずいいことがあるもんだよ。」
いいことを期待はしていないが、無心に真剣にしているそのオーラが、自分をいい方向に導いてくれる。
そう思って、新しい年を迎えようと思う。
大晦日に臨んで今回はこれまでで一番感慨が深い。
希望をもって臨むのか、終末に向かって臨むのか大きな違いがあるだろう。
自分はこれまで3度、残された者のことを思い、命のことを考えたことがある。
その一つが今年。
隠し立てをすることもせず開けっぴろげの心境をもてているからこうして書くこともできるのだが、6月に肝臓ガンと分かって7月の誕生日に手術をして以来5ヶ月が経つ。ま、再発の可能性も高いのは事実だが。
しかし、自分のこれまで数十年間の治療経過から考えると、気づきが遅れる可能性がものすごく高かったのだが、偶然に虫の知らせで見つかったことは、本当に偶然だったのかと今更ながら考える。
多分、今頃に見つかっていたのなら、この年の瀬の臨み方は前述の後者だっただろう。
虫の知らせ。危機一髪。幸運にも。
実は大なり小なり自分にはかなりこういうことがある。
スピリチュアルな話となるのだが事実。
たとえば、
若い頃はオートバイを乗っていたが、道幅の狭い坂道を下っているとき、カーブの手前に駐車していた車を避けた車が僕の進路に。
道路の端は大きな深い溝。スペースはない。
とっさにオートバイを手放して車の上をダイブして頭から舗装の上に落ちていった。
が、柔道(小学生のときしていた)の前方回転受け身のようにくるくると回って無傷。
普通は大けがか死ぬところでだったが、バイクを押して帰った。
車を運転していて何度もバイクや自動車や人、最近はイノシシ、タヌキ。接触したりギリギリセーフがあったが大事には至らず。
以前の仕事をしているとき、極限まで追い込まれてうつらうつらしているときに、仕事の内容や思っても見なかったこと、忘れていた仕事を夢が教えてくれたことが何回も。
その他もちょっと書けないが心当たりのあること
何かの力か意思がそうしてくれているのではないかと思う。
但し、それは自分に正直で真剣に打ち込んでいるときでないと起こらないことであることも自分でよく分かる。
都合のいい安易な心もちではイケナイのだと思わせてくれるものでもある。
よくある言葉に
「一生懸命に生きていれば必ずいいことがあるもんだよ。」
いいことを期待はしていないが、無心に真剣にしているそのオーラが、自分をいい方向に導いてくれる。
そう思って、新しい年を迎えようと思う。
スポンサーサイト


釣りに行った帰りに温泉に入ってホッとするのが一つの楽しみ
今回は大分の釣りの帰りに凍結しそうで早めに瀬の本高原を通り抜けたので
いつもの瀬の本の温泉をスルーしてしまった。
でも、そのまま帰るのも残念な気がしてならない。
スマホというのは便利なものでちょいと調べると、この先の黒川温泉に共同浴場があるのが分かる。

(左端が切れて「旅館 山河」が抜けてますがお許しを)
ま、500円程度で、旅館の極上の温泉がいくらでもあるのだけど
今回は200円で入れる極安をテーマに下調べのつもりで
黒川温泉へと坂道を下って「ふれあい広場」のPに駐車。
歩いて坂道を下ること約1分程度で地蔵堂へ

その前に雰囲気のあるたたずまいの共同湯「地蔵湯」
ここは地元の人が入りに来るとことなので一般客はさすがに物好きしか来ない。

で、物好きのわたくしが、階段を下りて、入り口のお金いれの箱にチャリリンコと200円を押し込むと
下から小さい箱が…ではなくて、エッヘン…パカッとドアがバネ仕掛けのように内側に開く。
いかにもいかがわしいその開き方がスケベ心をかき立てるのだが、
一歩踏み入れると昭和初期のにおいが漂っている。
わずか五歩程度で靴箱があり、ふと右をみるとそこはもう湯船があり、その横の壁が脱衣のタナ箱であり、爺さんが一人、ももひきをはいているところだった。
湯船の横に脱衣場があるから、盗難にも安心だな。

おもむろに裸になり、湯船に浸かると、じんわりとしみこむような心地よさ。

少しだけつるっとしてきれいなお湯。
湯の温度も丁度いい。横の小さめの源泉が流れ込んでいる方は、45℃か50℃の熱め。
古いが地元の人がかわりばんこで掃除をしていて決して汚くはない。
但し、石けんはありません。洗面器が2個ほどあるだけ。8:00~19:00まで
かけ流し(ここいらでは、あたりまえだけど)
いいところまた見つけた感じ♪
今回は大分の釣りの帰りに凍結しそうで早めに瀬の本高原を通り抜けたので
いつもの瀬の本の温泉をスルーしてしまった。
でも、そのまま帰るのも残念な気がしてならない。
スマホというのは便利なものでちょいと調べると、この先の黒川温泉に共同浴場があるのが分かる。

(左端が切れて「旅館 山河」が抜けてますがお許しを)
ま、500円程度で、旅館の極上の温泉がいくらでもあるのだけど
今回は200円で入れる極安をテーマに下調べのつもりで
黒川温泉へと坂道を下って「ふれあい広場」のPに駐車。
歩いて坂道を下ること約1分程度で地蔵堂へ

その前に雰囲気のあるたたずまいの共同湯「地蔵湯」
ここは地元の人が入りに来るとことなので一般客はさすがに物好きしか来ない。

で、物好きのわたくしが、階段を下りて、入り口のお金いれの箱にチャリリンコと200円を押し込むと
下から小さい箱が…ではなくて、エッヘン…パカッとドアがバネ仕掛けのように内側に開く。
いかにもいかがわしいその開き方がスケベ心をかき立てるのだが、
一歩踏み入れると昭和初期のにおいが漂っている。
わずか五歩程度で靴箱があり、ふと右をみるとそこはもう湯船があり、その横の壁が脱衣のタナ箱であり、爺さんが一人、ももひきをはいているところだった。
湯船の横に脱衣場があるから、盗難にも安心だな。

おもむろに裸になり、湯船に浸かると、じんわりとしみこむような心地よさ。

少しだけつるっとしてきれいなお湯。
湯の温度も丁度いい。横の小さめの源泉が流れ込んでいる方は、45℃か50℃の熱め。
古いが地元の人がかわりばんこで掃除をしていて決して汚くはない。
但し、石けんはありません。洗面器が2個ほどあるだけ。8:00~19:00まで
かけ流し(ここいらでは、あたりまえだけど)
いいところまた見つけた感じ♪


釣りとはかけ離れた陸上でのこと
家の外に置いていた発泡の箱に木の葉が。
振り落とそうとして ハッ
木の葉が立っている。
もう一度よく見ると、
アレでした。

擬態のカレハチョウみたいなヤツ
小学生の頃は、殆ど山や林に入って遊んでいた私
どちらかというと アウトドア系で62年過ごしてきて こうしてはっきりと確認したのははじめて。
多分、何回かは出会っているのではないかと思うが 見ているのに見えていなかったのだろう。
調べてみたら、「アケビコノハ」という大型蛾の一種らしい。
アケビは昔、よく山で採っていたから、その時いたかもしれないけどなぁ。

以前、「見るということ」という題名で書いたことがあるけれど
人は、たくさんのものから、自分が見たいものだけを見ている。
どれだけ、ものが見えるかということが 自分にとっては これから大事にしたいことだと
アケビコノハとの出会いから改めて思わせてもらった。
家の外に置いていた発泡の箱に木の葉が。
振り落とそうとして ハッ
木の葉が立っている。
もう一度よく見ると、
アレでした。

擬態のカレハチョウみたいなヤツ
小学生の頃は、殆ど山や林に入って遊んでいた私
どちらかというと アウトドア系で62年過ごしてきて こうしてはっきりと確認したのははじめて。
多分、何回かは出会っているのではないかと思うが 見ているのに見えていなかったのだろう。
調べてみたら、「アケビコノハ」という大型蛾の一種らしい。
アケビは昔、よく山で採っていたから、その時いたかもしれないけどなぁ。

以前、「見るということ」という題名で書いたことがあるけれど
人は、たくさんのものから、自分が見たいものだけを見ている。
どれだけ、ものが見えるかということが 自分にとっては これから大事にしたいことだと
アケビコノハとの出会いから改めて思わせてもらった。

| ホーム |